<ゼロの執行人の完全考察!>黒田兵衛の正体と、それぞれの正義について

ゼロの執行人の完全考察!

こんにちは、なるみ(@naru28_)です(*´◒`*)💕

2018年に公開されたコナン映画「ゼロの執行人」。今までのコナン人気にさらに火をつけた人気ぶりでした。

映画館では3回見てその後もちょこちょこと見ているのですが、考えてみればゼロの執行人の考察をしっかりとしたことがありませんでした。

なので今回はゼロの執行人の考察をガッツリしていきたいと思います。

これを読んでいるならまだ見ていない人はいないと思いますが、ガッツリネタバレを含むのでご了承ください…!

毛利小五郎が犯人に仕立て上げられた理由。安室透の思惑とは?

まずゼロの執行人はサミット会場が爆破されたあと、毛利小五郎が容疑者として拘束されます。

それは安室透=公安の降谷零によるものでした。

ショックを受けて同様する蘭と、なんとか助け出そうとする新一、そして対立するコナンと安室透。

結局毛利小五郎を巻き込んだ理由は、その後ろにいるコナンの力を借りたかったから

ここでわかることは、

  • 安室透はコナンの正体(=新一)だということに気づいている
  • コナン=新一だとは気づいていないが、ただの小学生ではないと思っている

このどちらかだということです。

個人的にはもうすでに気付いているのではないかと思います。

トリプルフェイスを使い分ける降谷零が正体に気付いていないというのは、今までのことから考えてもあり得ないと思うんですよね。

ただ本編(本誌の漫画)との絡みもあるので、気付いていたとしても隠しているとは思いますが…

映画を見ている間は、毛利小五郎を犯人にした理由は近い存在だからいろいろと処理しやすいのか?と思っていたのですが、結局はコナンくんに絡んでいたんですね。

真正面から協力を頼まなかった訳

なぜ、わざわざ毛利小五郎を餌にコナンを引きずり出す必要があったのか?

考えられる理由は3つあります。

  • ベルモットとの約束があるから
  • ピンチがきっかけの方が本領を発揮してもらえると考えたから
  • 他に表立って頼むことができない理由があった

ベルモットとの約束があるから

まずはベルモットとの約束です。バーボンは「シルバーブレッドには手を出さないように」と約束させられています。

バーボンがベルモットの秘密を握っているので関係的には有利に思えますが、きっと二人の間にはまだ明かされていない秘密があるのかもしれません。

ピンチがきっかけの方が本領を発揮してもらえると考えたから

そして2つ目が、毛利小五郎を巻き込んで蘭ちゃんを巻き込むことで、コナンくんの本当の力を借りられると思ったから、という理由です。

確かにベルモットとの約束は抜きにすると、真正面から頼んだ方が話はこじれなくて済んだかもしれません。

でもそうだったとしたら、あそこまでの早い事件の解決はあり得なかったと思うんですよね。

人ってピンチの時こそ頭が回転するようにできてますから。

だから降谷零はあえてそれを狙って敵役に徹したのではないでしょうか。

他に表立って頼むことができない理由があった

さらに3つ目に考えられる理由は「他に表立って頼むことができない理由があった」という理由です。

あくまでアニメの中の世界の話ですが、コナンってリアルな部分がありますよね。

その世界観の中で、公安のゼロである、ましてやトリプルフェイスを使い分ける降谷零が小学生に頼った、とわかればどうでしょう?

かなり印象は悪いですよね。裏の理事官にも報告が必須になるであろう事件なのに「小学生に頼りました」なんて言えるはずがありません。

世間一般的に考えてあり得なかったから、というのも理由の一つだったのではないかと考えています。

安室透が人殺しと風見に言われた理由

映画の中で「安室透は…人殺しだ」という風見裕也の言葉があります。

これはサミット爆破事件のトリガーともなっている羽場二三一の自殺に関係しています。

羽場二三一は日下部誠の協力者だったために逮捕され、公安の取り調べを受けた後に自殺をしました。

補足
NASA事件のためにゲーム会社に侵入したところを犯人と間違われ、公安に逮捕されています。そのうえで検察の協力者だと言わなかったために尋問されたという予想です。

この取り調べをしたのが安室透こと降谷零だったのです。

実際には自殺しておらず、FBIの保護承認プログラムのようなものを受けていて生きていたのですが、そのことは降谷零以外知りません。

むしろ風見裕也も「降谷零の尋問のせいで自殺した」と思い込んでいるくらいでした。

この「安室透は人殺しだ」という言葉の中には「正義のためなら何でもする」という降谷零に対する恐怖の意味も含まれていると思われます。

裏理事官の正体

今まで誰が裏理事官なのかウワサされていた存在ですが、ゼロしこではついに正体がわかりましたね!

黒田兵衛です。

そのことがわかるシーンは映画内の口パクの部分です。

おそらくですが「抜かるなよ、バーボン」と発言しています。

以前から黒田兵衛は黒の組織の一員なのではないか?とも言われていましたが、今回の映画でそのような感じはありませんでした。

バーボンと発言している=黒の組織の一員なのでは!?とも考えられるんですが、

この映画内では組織が関わる事件ではなかったので、その可能性は低そうです。

また、裏の理事官で降谷零のトリプルフェイスを知っているなら、バーボンと口に出しても違和感はありません。

おそらくですが、このバーボンはミスリードでもあったのではないでしょうか。

実際にこの発言でコナンクラスタ界隈はめちゃくちゃざわついていました。

ただ今の本誌の内容とも合わせると黒の組織の一員という可能性はとても低いので、黒田兵衛の正体は裏の理事官だったということですね。

風見裕也と橘境子の関係性

橘境子は毛利小五郎の弁護のために現れた弁護士です。しかし彼女は公安の協力者だったというのが真実でした。

偶然を装い橘境子を公安の協力者にした風見でしたが、最後去っていく彼女を見た降谷零は風見にこんな言葉を投げかけます。

「たとえ憎まれようとも、彼女を守れ」

ここからは完全な予想ですが、風見にとって橘境子は協力者ナンバーだけで測れるような関係性ではなかったのではないでしょうか。

協力者にし自分も知らなかったとは言え、彼女の恋人だった羽場二三一の死をねつ造し追い詰めた。

簡単に言うと、風見裕也という人間は降谷零ほど心を殺し切れていない人間なのではないかということです。

このあとのことは映画内で描かれていませんでしたが、どちらとも救われる終わりだったのなら良いなと思います…。

公安が協力者を番号で呼ぶ理由

ゼロの執行人では、公安である降谷さんや風見さんが協力者である橘境子のことを番号で呼んでいます。

おそらくこれは、協力者の管理をしやすくするためです。

ただ橘境子も羽場二三一が生きていると知って「彼は何番なの!」と激怒していた通り、あまり思いやりを感じない部分です…。

一人間として扱われていない感じがありますね…。

安室透の命をかけて守らなければならないものとは

コナンくんと安室さんが対峙するシーンで安室さんはこんな言葉を残します。

「僕には、命をかけて守らなければならないものがあるからさ」

この安室さんの守らなければならないものとは、おそらく日本のことです。

彼は警察庁の公安に所属していて、日本を守るために黒の組織にも潜入しています。

だから日本の脅威となるものは、徹底的に排除しなければならない。

そして日本を守るためには、自分が命を落とすことになっても仕方がない、それが日本のためだと考えていることがわかるシーンですね。

それぞれの正義

今回の映画でも一番のメインと言っても良いでしょう。それはそれぞれの正義のカタチがあったという部分です。

メインとなっていたのは、降谷零・コナン・日下部誠・橘境子の4人でした。

降谷零の正義

例えば映画内で安室透はこうした台詞を残しています。

「僕には命をかけて、守らなければならないものがある」

「何が最もこの国を守ることになるか考えるのが、僕たち公安だ!」

主題歌・零-zero-の考察」でも言っていますが、ゼロの所属している身である降谷零はたとえどんなことがあっても日本を守らなければなりません。

彼の正義は、日本という国を守ること。

なぜなら日本を守る=国民を守るということにつながるからです。

だから目の前で消えそうな命があったとしても、それで悲しむ人がいたとしても、それが日本を守るということにつながるのなら、彼はそれを選択しなければなりません。

日本を守るために、非情にならなければならないのです。

だからこそ、羽場二三一の死をねつ造し、毛利小五郎をテロの犯人として仕立てあげました。

結局は羽場二三一は生きていたし、毛利小五郎も間違いだったということで結果的には良かったかもしれません。

しかし周りからは恐れられ、自ら嫌われる役を買って出ているのです。

そして降谷零自身も「どんなに憎まれようとも…」という台詞を残しています。

たとえ自分が憎まれても、もしかして死んだとしても、それが日本のためになるというのなら…と闘っていることがわかります。

これが最後の台詞「僕の…恋人は…この国さ!」につながっているわけですね。

これこそが、降谷零の正義。

降谷零についての考察は「主題歌である「零-zero-」の歌詞考察」でもしているので、お時間があれば合わせて読んでみてください。

コナンの正義

コナンの正義は、事件の真実を暴くこと。

だからこそ蘭の父である毛利小五郎を犯人としてでっち上げた安室透と対立することになりました。

そして印象的なのは予告編でもあったこのセリフです。

「正義のために人が死んでも良いのか!」

これは映画を見た方ならわかる通り、日下部誠へと向けられた言葉でした。

しかし見方を変えると降谷零にも言えることですよね。

結果死んではいませんが、羽場二三一の死はねつ造しています。

このことからコナンと降谷零の正義のカタチが違うということが分かります。

降谷零=日本を守ることが正義。

コナン=正義のために何かが犠牲になるというのは違う。真実を暴くことが大事。

日下部誠の正義

日下部誠の正義とは、腐ったルールを変えて真実を暴くこと。

コナンと同じように思えますが、圧倒的に違うのは「正義のためなら多少の犠牲は必要だ」と考えているところです。

もちろん民間人を巻き込むことはしませんが、自分の敵になる警察は犠牲にしても良い、という考えがありました。

しかし日下部誠自身も根っからの悪ではないと分かるのが、毛利小五郎が捕まった時にあえてテロを起こしている部分です。

無実の罪を着せられているのがわかったから、毛利小五郎を救うためにテロを起こしています。

彼には彼なりの正義があったのです。

橘境子の正義

公安の協力者として動いていた橘境子ですが、彼女には「公安に復讐する」という目的がありました。

この映画のなかの彼女の正義は「羽場二三一の事件の真相を暴くこと」でもあったのです。

番号で呼ばれている彼女は最後、風見から「解放する」と言われたとき、

「私は私の意志で動いているの!」

「私の判断!」

という台詞を残しています。

このことから「自分は公安に指示されてだけ動く操り人形ではなく、意思を持って反発しようと思えばできる生身の人間だ」と訴えているのがわかります。

これがゼロの執行人映画内での彼女の正義でした。

ゼロの執行人と零-zero-とのリンク

ゼロの執行人の主題歌は福山雅治さんが担当していました。

零-zero-というタイトルは降谷零の名前である「零」と公安の呼び名である「ゼロ」、そして「零」という漢字が「ZERO」とも読めるということでタイトル付けしたそうです。

零の歌詞は、まさに降谷零の正義や葛藤、想いなどが詰まっていて、これを聞いたファン全員が卒倒するという事態でした。笑

実は零の歌詞と、映画の内容やトリプルフェイスを使い分ける降谷零という人物像はかなりマッチしている部分が多かったんです。

実際に福山雅治さんは歌詞を書くにあたって、映画の製作チームの方に手紙を書いています。

その内容の中には、「完全なる正しさ」は存在しない。それは皆無であるという全否定と、「正義は人の心の数だけある」という肯定。

という降谷零に対する考察がありました。

しかしこれは映画にもリンクしている言葉です。

ゼロの執行人の映画内ではお互いの正義がぶつかり合っているところがメインで描かれていましたよね。

このことから、福山雅治さんはかなりキャラクターを読み込んで考察をしてから歌詞をつくったのだということがわかります。

ぜひ映画を楽しむときに、音楽にも注目してほしいです。

もう少し詳しく歌詞を考察しているのでお時間があれば「福山雅治「零-zero-」の歌詞について意味を考察・解釈してみた」という記事も読んでみてください。

まとめ

映画の公開から1年以上経っていて、本誌の方もかなり進んでいます。

そのおかげで映画ではわからなかったことがわかるようになってきました。

簡単に言えば伏線が回収されているということですね。

とはいえ、ゼロの執行人はコナンの中でも割と中心人物である降谷零にスポットが当てられた映画でした。

その彼が今後どのように組織壊滅に関わっていくのか、本当に目が離せません…!

どうやら2020年も、〇〇さんがメインの映画(ネタバレになるのでここでは伏せます。笑)のようなので、もしかするとまた黒の組織に関わることかもしれないですね。

コナンは伏線回収までに時間がかかったりミスリードが多い作品ですが、その分読んでいる側もしっかりと楽しめる素晴らしい作品です。

純粋に映画を楽しむのももちろん最高ですが、機会があればぜひ考察をしてみてはいかがでしょうか💕

ちなみに、2019年に公開した「紺青のフィストのネタバレ感想&考察」もしているので、お時間があればぜひそちらも読んで楽しんでください✨

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