こんにちは、なるみ(@naru28_)です(*´◒`*)💕
コナン映画のなかでもナンバーワン!と言って良いほど人気を集めたのが2018年公開の「ゼロの執行人」です。
この映画が注目された理由は、映画の内容やキャラクターだけが理由ではありません。
もう一つ大きな秘密があります。
それが、福山雅治さんが作詞作曲した主題歌の「零-zero-」です。
この歌詞が本当に素晴らしくて、安室ファン・降谷ファンはもちろんすべてのコナンファンが卒倒しました。
こちらの記事ではその「零-zero-」について考察していきます!
お時間があればお付き合いいただけると嬉しいです。
そしてこれを読んだ後にもう一度ゼロの執行人を見返して、歌詞を聞いてくださるともっと喜びます。
<最高すぎる>福山雅治が「零-zero-」に込めた想い
YouTubeにはショートバージョンしかアップされていませんが、まずは聞いてみてください。
福山雅治さんが、本当に本当に魂をこめて作った曲が「零-zero-」です。
彼はこの曲を作るにあたり、原作を読み、しっかりとキャラクター考察をしていました。
歌詞を聞いてみても、降谷零という男をしっかりと理解して書いてくださったんだろうな…というのが心から伝わります。
福山雅治さんの手紙内容
「零(レイ)」という漢字をつかっているけど、読み方は「ゼロ」。
これにもしっかりと意味があって、この歌があったからこそゼロの執行人はこんなにも素敵な映画になったんだろうなと。
なんでそんなことが分かるのかというと、理由はこちらにあります。
ところで、福山雅治おじさんの安室透(降谷零)に関する考察が最高なんで見てくれ pic.twitter.com/NuJC5AHVrb
— るぅ(執行済)🎈0506スタリファンミ🌈Vitamin FD (@saikounofinale) 2018年4月19日
青山先生、プロデューサーの皆様、主題歌のおおよその骨子が見えましたので、歌詞と共に少しだけ歌詞作成の糸のご説明を添えさせてください。
楽曲のタイトルは「零」を予定しています。「ゼロ」と読むつもりです。
テーマは「ゼロの可能性」。
今回の劇場作品の内容、名探偵コナンと言う名作シリーズが持つカタルシス、そしてやや話は大きくなりますが、我々人間が向き合わざるを得ない最大のテーマ「正義とは?」と言う難題を描く機会をいただけたこと、大変光栄に感じています。
それらを踏まえた上で、今回の作品のキーパーソンである「安室透、降谷零、バーボン」3つの顔を持つ男の背景と存在意義を自分なりの解釈で描いてみました。
まず、秘密組織である”ゼロ”と、降谷零の”零”の表記の違いに着目しました。
数学的なゼロは”無”。しかし日本語の零、天気予報などで使われる場合の「0%」は「れいパーセント」とアナウンスされる。降水確率5%未満の時は0%と発表されるその不確かさが、安室透こと降谷零の「自信が意図的に存在を不透明にしている在り方」に重なる部分があるように思いました。
組織としてのゼロは、まさしくその存在そのものを無としている。しかしそこに属する人間・降谷零は、無の心では生きていないのでは?と。どこか彼の心のゆらぎを感じました。
「完全なる正しさ」は存在しない。それは皆無であるという全否定と、「正義は人の心の数だけある」という肯定。この二つの間で揺れる心が人間・降谷零の中にあるような。
故に、降谷零を名乗る時、彼は「零の可能性」を常に探しているのでは?と。
「零の可能性」とは「歴史は、人類は、正しさに導かれているはず。歴史がそれを証明してくれるはず。その未来への歴史のためにこの生命を燃やし尽くそう」という降谷零の希望。
コナンが言う「真実はいつもひとつ」という、ある種の残酷さを併せ持つ圧倒的現実と、降谷零と言うミステリアスな、しかし人間味溢れる彼の行動原理を誠に勝手ながら解釈させていただき、その二人が信じる正義のコントラストを描けたらと思いました。
青山先生には「真実はいつもひとつ」と言う名台詞を歌詞に使うことをお許しいただき大変感謝しております。
今回の劇場作品の大成功に少しでも貢献できるよう主題歌をブラッシュアップしていきます。
よろしくお願いします。
福山雅治
これは、福山雅治さんが映画製作チームにあてて書いた手紙です。
「零の可能性」「降谷零、安室透、バーボンというトリプルフェイスを持つ男の存在意義」がしっかりと歌に詰め込まれているのが分かりますよね。
ゼロというチームに所属しつつ、いつも「零の可能性」を探している。
真実はいつも1つだけど、完全なる正しさなんて存在していなくて、正義は人の心の数だけ、涙の数だけある。
降谷零はゼロに所属しつつも、心を殺し切れていない。
非情になりきれず、いつも「零の可能性」を探している。
本編を見て、なおかつ降谷零という男のことを知っているなら、映画のあのエンディングはこみ上げるものがありますよね。
こんなにも映画にマッチングした音楽を聴いたのは初めてと思うほどの衝撃でした。
福山雅治さん、本物のプロですね…。
きっと彼が作詞作曲したのではなかったら、こんなにも映画にマッチする素晴らしい主題歌は生まれなかったのではないでしょうか。
「零-zero-」という主題歌があったからこそ、降谷零という人間はどんなことを考えてどんな気持ちで日本という国を守ろうとしてるのか…というのを映画と合わせて少しでも理解することができました。
今までのコナン映画主題歌の中でもトップレベルの素晴らしさです。
「零-zero-」の歌詞を考察
何度聞いても歌詞の意味が全体的に深すぎるというのが、この主題歌の魅力です。
ここからは全体的に考察していくので、とても長くなります。ご了承ください。
零-zero-歌詞考察①冒頭の部分
まずは始めの部分です。
「振り翳した刃はすぐ自分に斬り掛かってきたんだ そう僕には「善」も「悪」も「間違い」もある 僕を騙す僕もいる」
この部分が表しているのはおそらく、降谷零・バーボン・安室透というトリプルフェイスのことですね。
降谷零という善、バーボンという悪。安室透はすこし曖昧な存在ではあるけれど、結局は日本を守るという任務のせいで正しいことをできないこともあります。
結果的に日本を守ることになるとしても、降谷零が思い描くような正義ではない「間違い」を犯すこともある。
日本を守るために悪を駆逐しようと噛みついていったけど、結局は組織に潜入して警察の正義とは程遠いことをしないといけなくて、組織に向けたはずの刃は自分にも戻ってきている。
まさしく「正義とはなんなのか?」を考えさせられます。
零-zero-歌詞考察②サビの部分
「誰も傷付かず 誰も傷付けないまま 君を守ることなどは 出来ないとわかってる 「完全なる正しさ」など ゼロなんだよ」
この部分なんですが、個人的な解釈として「君」というのは日本とか日本に住む人々のことなのかな?と思っていて。
そう考えると、歌詞とのつじつまが合うんですよね。
犠牲を払わずには国も国民もすべては守ることができない。だからこそ、どこかで犠牲が必要。=誰も傷つけないまま君を守ることなどはできない
誰もが思い描くような「完全なる正しさ」なんてゼロ…という歌詞につながっているのではと考えます。
それこそ歌の一番はじめでも言っているように、真実は一つしかなくても、正義は人の涙の数だけ、心の数だけある。立場が変われば正義なんて変わる。ということを歌っています。
そして「君を守りたいそれでも守りたい その笑顔 そのために時として 悪になったとしても」という部分。
きっとこれはバーボンとしての仕事を指していますよね。
バーボンという悪になったとしても日本を守りたいという降谷零の気持ちの表れの部分です。
「愛の名のもとに 誰かが愛の鎖で 君の心 縛っても 心にはやがて血が滲むのなら この刃で 愛を斬るよ」
この部分はもしかすると、降谷零と日本の関係性を表しているのではないでしょうか。
「心にはやがて血が滲むのなら この刃で 愛を斬るよ」という部分が特にそうなのですが…
「日本を守っている行動だとしても、それが結果的に日本を苦しめることになるのだとしたら、自らは犠牲になる」という降谷零の心情を表してるのでは?と。
アニメや漫画とはいえ、これだけ日本を思って動いている人っているんですかね…。
そしてさらに「愛の名のもとに 誰もが愛に迷っても 真実はいつもひとつ だけど正義はいつも ひとつじゃない 無限なんだ ゼロじゃないんだ だから探すよ 零の可能性」をという部分です。
「迷ったとしても、守り方が違ったとしても、守りたいという真実は一つ。でも正義は一つじゃなくて、たくさんある。人の心の数だけある。守り方が、愛の形がちがうんだよ。」ということを表しているのではないかと解釈しました。
心を消してゼロとして生きていかなければならない降谷零だけれど、完全なるゼロにはなれなくて零(れい)としての可能性をいつも探している。
それこそ福山雅治さんが言っているような、「完全なる正しさは存在しない。という全否定と、正義は人の心の数だけあるんだよ。という肯定」の矛盾と葛藤が「零-zero-」という歌でしっかりと描かれています。
これは聞けば聞くほど、歌詞を理解すればするほどグッときて泣けてしまいます…。
なんて深い意味がある歌と歌詞なんだろうかと…福山雅治さん、本当に素晴らしいですよね最高です。
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映画を見たらぜひ「零-zero-」を聞いて味わってください
もしまだゼロの執行人を見ていないのならまずは「零-zero-」を聞いてみてください。
歌詞の奥深さを知ったとき、きっと映画も見たくなるはずです。笑
ショートバージョンですがYouTubeでも公開されているので、お時間があればぜひ聞いてほしいです。
これだけヒットしたのには、やっぱりこの主題歌があったからこそだと思います。
福山雅治さんという天才がキャラクターを見て、考察したからこそ生まれた名曲。
この歌があったからこそ、降谷零という人間性や心を映画から感じることができました。
ぜひ、映画と共に楽しんでくださいね。


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[…] 「主題歌・零-zero-の考察」でも言っていますが、ゼロの所属している身である降谷零はたとえどんなことがあっても日本を守らなければなりません。 […]